喉ニ小骨ガ

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「その他短編」
さよなら、マルオ君。


さよなら、マルオ君。 本編

2011.03.31  *Edit 

 高校に入学して一ヶ月。風薫る五月の、爽やかな朝。
 西野祐《ゆう》は、自分の席に大人しく座り、ひたすら愛想笑いを浮かべていた。
「……そんで、俺は言ってやったわけ。『次は無ぇ、今度会ったらぶっ殺す』ってな!」
 いかつい顔を歪め、右手の中指をビシッと立てて須藤が笑った。野太い声にあわせて、その場にいた全員が笑い出す。
 祐からしてみれば、何が面白いのかさっぱり分からない……むしろ背筋が凍るような話だ。なんせ須藤は昨夜、通りすがりのチンピラに絡まれ、拳一つで撃退したというのだから。
(何だか僕、ヤンキー漫画の脇役キャラみたいだなぁ……)
 乾いた笑い声を立てながら、祐は心の中で深い溜息を吐いた。
 高校受験の直前に風邪を引いたあたりから、祐の人生は坂道を転がり落ちて行った。本命の公立に落ちた祐は、仕方なく滑り止めの私立男子高へ入学。通っていた塾では『バカ高』呼ばわりされていた学校だった。
 ここには、天然記念物レベルの『不良』がうようよしている。
 しかも何の因果か、祐は学年で一番悪目立ちする須藤の、隣の席になってしまった。
 祐が真面目で成績優秀と知るや、須藤は満面の笑みを浮かべて近寄り、祐を『ブレーン』としてこき使うようになった。といっても今のところは、宿題を肩代わりするという程度だが。
(僕はまだ、人間扱いされるだけマシだけど)
 須藤の作ったグループは五人組。祐の他には、『腰ぎんちゃく』のポジションに山岸と高階《たかしな》。最後の一人は、いわゆる『パシリ』として重宝されている――
「おい、マルオ。俺のど乾いた」
 さっそく今日も始まった。ボタンを外した学ランをバサバサとやる須藤。裏地に仕込まれた龍の刺繍が揺れ、山岸と高階がにやにや笑う。
 神様は残酷だ。須藤の後ろの席になってしまったのが、クラスで一番根暗なマルオ――丸尾良広《まるおよしひろ》だった。その時点で、マルオの運命は決まったも同然。
 マルオはズボンのポケットをまさぐりながら、おずおずと呟く。
「……あ、あの、今日は」
「何だよ」
「お、お小遣いが、あまり無くて」
「――ああっ?」
 いきり立った山岸が、マルオの机を蹴り飛ばした。マルオは「ヒッ」と小さく叫び、慌てて立ち上がる。小柄でずんぐりしたマルオの額から、玉のような汗が吹き出す。
「おいおい、ヤマちゃん。そう脅かすなって。……なぁマルオ。別に俺は、お前にたかろうってわけじゃないんだ。バイト代が出るまで、少しの間貸してくれって言ってるだけなんだよ」
 釣り上がった一重の目を細め、須藤が諭すようにゆっくりと告げる。山岸は仁王立ちの姿勢で、マルオを憎々しげに睨みつける。腕組みした高階は「そうそう」と涼しげな顔で相槌を打つ。
 観念したのか、マルオは蝉の幼虫みたいに背中を丸め、のそのそと教室を出て行った。
 一分ほど遅れて、祐も立ち上がる。
「僕トイレ行ってくる」
 武勇伝の続きに熱中する三人は、祐の台詞など右から左だ。祐は騒がしい朝の教室を抜け出すと、学食へ向かった。
 ドアを開くと、マルオが床に這いつくばっていた。自販機の下に腕を伸ばしている。誰かが落とした小銭を拾おうとしているのだろう。よほど必死なのか、祐に気付く様子はない。
 祐は人気がないことを確認しつつ、マルオの傍に近寄った。
「おい、マルオ」
「あれぇ、西野君……」
 肘や膝に埃をくっつけたマルオが、ゆっくりと立ち上がる。祐はその手に素早く千円札を握らせた。
「え、あの、これ……」
「金足りないんだろ? とりあえずこれ使いなよ。毎回はアテにすんなよ。あと、須藤たちには内緒な」
 言い逃げしようした祐の手が、生温かい感触に包まれる。マルオが、握手を求めてきたのだ。
「あ、ありがとう……これ、絶対、返すから」
 頭のてっぺんから出てくるような、甲高い不自然な声。分厚い唇をほとんど開かずに喋るから、何を言っているのかうまく聞き取れない。
 マルオがこの声を発するたびに、教室の中には忍び笑いが渦巻いた。先生も皆のリアクションを苦笑いで黙認し、何事も無かったかのように授業を進める。その行為はあからさまで、祐は内心辟易していた。
 マルオは、いじめられているのだ。須藤のパシリというだけじゃなく、クラス全員から。
(でも、こいつがいじめられるのは、納得できるんだよな……)
 湧きあがる嫌悪感に耐えかね、祐はマルオの手を振り払った。学ランの背中で、握られた手の湿り気をゴシゴシと拭う。
 行動だけでなく、頭の中身も鈍いマルオは、祐の“拒絶”にも無頓着だ。長く分厚い前髪の奥で、小さな目が糸のように細められる。ニキビの浮いた丸い頬は紅潮し、薄い唇の端が持ち上げられる。
 見た目の不気味さ以上に気になるのが、つんと鼻をつく体臭。良く見れば、学ランの肩にはフケが落ち、後ろ髪は脂っこい毛束を作っている。血色の悪い唇から時折のぞく前歯は黄ばみ、ねちゃっと唾液の糸を引いていた。
 初めて見たときから、祐はマルオを「気持ち悪いヤツ」と思っていた。マルオの家庭の事情を知らなければ、たぶんクラスメイトと大差ない態度を取っていただろう。
 入学式の後、祐は担任から呼び出された。入試成績の良かった祐をクラス委員に任命するついでに、「実は一人、気を使ってやって欲しい生徒がいるんだ」と伝えてきた。
 どうやらマルオの家は、一昔前のドラマばりに悲惨な状況らしい。
 父親は、数年前に障害を負った。その後、母親はマルオを残して蒸発。現在は親子二人暮らしで、マルオが父親の世話をしているのだという。
 その話を聞いたとき、祐は妙に納得した。
 辛過ぎる現実を受け止めるには、頭のネジが緩いくらいがちょうどいい……。
 自販機から、もたもたと三本の缶コーヒーを取りだすマルオに、祐は背を向けた。

 ◆

 梅雨入りが宣言された、霧雨の降る日。不良の割には皆勤賞の須藤が、初めて学校を休んだ。
 普段は飼い犬を演じている山岸と高階が、王様気どりになる。マルオはもちろん、祐にまできつい叱責が飛んだ。
 祐はクラスの雑務があると嘘をつき、特別棟のパソコンルームへ避難した。優等生の祐は、教師に「調べたいことがある」と一声かければ、合い鍵を預かることができた。内側から慎重に鍵をかけ、ホッと一息つく。
 窓の向こうには、どんよりと重たげな灰色の雲。
(今頃マルオ、あいつらの集中砲火浴びてるだろうなぁ……)
 湧き上がる罪悪感を掻き消すべく、祐は腹の中に隠し持っていた文庫本を取り出した。それはネットで評判が良かった、新作のライトノベルだ。平凡な主人公が、特殊な能力を手に入れて魔物と戦うという、定番のストーリー。現実逃避にはちょうど良かった。
 そんな休み時間を繰り返し、放課後。
 祐がパソコンルームの鍵を返して再び教室へ戻ると、もうクラスメイトは誰もいなかった。
 帰り支度を終えた祐は、思いついた。このまま読了して、帰りがけに駅前の古本屋へ売りに行けば、別の本が買える……。
 電気の消えた薄暗い教室で、読みかけの文庫本を開く。物語のフィナーレは、涙が浮かぶほど感動的だった。祐がすんっと鼻をすすったとき。
 ――パチン。
 教室が、突然人工的な白い明かりに包まれた。反射的に目を瞑る祐の耳に、のんびりとした声が届く。
「西野君、まだいたんだぁ」
 半笑いを浮かべて近寄ってくるマルオを、祐は険を含む目つきで睨んだ。読書の邪魔をされた恨みを込めて。
「ぼくは、忘れ物、しちゃってさ……えへへ」
 言い訳めいたことを言うと、マルオは自分の席に座り、中から黒い手帳を取り出した。マルオが出て行くまで待とうと、祐は文庫本を一度閉じる。
 と、マルオが叫んだ。
「――ああっ、に、西野君!」
「へっ?」
「その本、ぼくも昨日、読んだよ!」
 通学鞄を小脇に抱え、片手に手帳を持ったポーズのまま、マルオは祐の机に突進してきた。思わずのけ反る祐に、マルオはマシンガントークを繰り出す。
 どうやらマルオは、この作家の熱烈なファンだったらしい。一方的にまくし立てるマルオが、祐の机に唾を飛ばす。祐の心には、いつも通りの嫌悪感と、プラスアルファの驚きが浮かんだ。
(なんだよ、コイツ普通に頭いいんじゃん……)
 成績だけを見れば、マルオのレベルは下の下。それでも、祐の何倍もの小説を読み、それらの作品について深い批評ができる。マルオのイメージが、一気に塗り替えられていく。
 マルオにとっては、祐が何を思おうがあまり関係ないようだ。息継ぎの少ない独特の喋り方で、饒舌に語り続ける。溜め込んだ感情を、一気に吐き出すように。
 と、祐の携帯が震えた。
 その音を耳にし、マルオは小さな目をくっと見開いた。ずっと話し掛けていた相手が、人形じゃなく意志を持つ人間だと気付いた……そんな顔だった。祐は思わず苦笑を漏らし、マルオは指先でポリポリと頭をかいた。
「そ、そうだ。ぼく、早く帰らなきゃ」
 あたふたするマルオの脇から、重たい通学鞄が落ちた。それを拾おうと屈みこむと、今度は手のひらから手帳が滑り落ちる。コミカルな動きに、祐の笑みは深まった。
 きっとマルオは、一度に一つのことしかできないのだろう。単に不器用なヤツなのかもしれない。
 去り際にマルオは、「今度ぼくの本、貸してあげるね」と囁き、微かに唇の端を持ち上げた。

 ◆

「ふぁ~あ……」
 祐は寝不足の目を擦り、大あくびをしながら教室へ入った。昨夜は古本屋に寄り、マルオが勧めてくれた本を買った結果、まんまと徹夜させられてしまった。
 教室に一歩足を踏み入れた途端、マルオが祐の元へ駆け寄ってきた。
「――お、おはよう、西野君!」
 ギョッとして、祐は周囲を見渡した。
 教室にはもう大部分の生徒が集まっている。昨日は学校を休んだ須藤も来ていた。山岸と高階は、一日天下を惜しむような素振りも見せず、須藤の脇に大人しく控えている。
 彼らの白けた目が、見ている。いつになくはしゃぐマルオと、そのターゲットにされた祐を。
 祐の身体は、自動的に動いた。
 正面に立ちはだかったマルオから視線を外し、その脇を無言ですり抜ける。バスケでディフェンスをかわすように。
「あ……」
 立ち止まったマルオは、祐を追ってくることは無かった。着席した祐は、さりげなくマルオを見やる。
 視界の端に映ったマルオの手には、一冊の文庫本が握られていた。
 ツキンと刺さる胸の痛みを、祐は無視した。

 祐がマルオを『受け入れない』と決めた、翌日。
 学校に着いても、昨日のようなアクシデントは起こらなかった。マルオは自分の席でぼんやりしていて、祐に目もくれなかった。
 着席した祐は、安堵の溜息をつく。鞄から教科書を取り出し、机の中に入れようとして……突っ掛かった。
 怪訝に思い中を覗くと、そこには一冊の文庫本があった。
 振り向けば、マルオは口をだらしなく開けて、何も書かれていない深緑色の黒板をぼんやりと眺めている。祐は膝の上でその本を開いた。
『この前言ってた、一番面白い本だよ。読み終わったら感想教えてね』
 付箋メモに書かれた、汚い文字。
 祐は唇を噛みしめ、その本をそっと腹の中にしまった。
 それから祐は、休み時間と放課後を使い、借りた本をその日のうちに読了した。マルオが熱弁を振るった通りエンタメ性が高く、それ以上に深かった。主人公が魔法を駆使し、ファンタジックな世界を旅するだけではなく、命の重さや生きる意味を考えさせられるストーリーだった。
 表紙に描かれた、巨大なドラゴンの背に乗る主人公が、祐に問い掛ける。
『このままマルオを無視し続けて、いいのか?』
 祐は項垂れた。「嫌われ者のマルオと友達になって、同レベルに見られたくない」というプライドがある限り、自分が態度を変えることはない。
 ただ、こうしてマルオの世界を知ると、ひどく胸が痛む。
「とりあえず、これは返さなきゃ」
 マルオの貼った付箋メモを剥がし、代わりに自分のメモを貼る。悩んだあげく、『面白かった、ありがとう』とだけ記して、マルオの机に戻し……その本が、途中で突っかかった。
 中を覗いた祐は、見覚えのある一冊の手帳を見つけた。
(これ、昨日マルオがわざわざ取りに来たやつだよなぁ……)
 何の気なしに手帳を取り出すと、指先にぬめっとした感触。マルオの手垢だ。反射的にそれを投げ捨ててしまう。
「っと、悪い、マルオ」
 拾おうと屈みこんだ祐は、その姿勢で硬直した。
 薄汚い教室の床に落ち、ばさりと開かれたマルオの手帳……そこに綴られた文字を、祐は読んでしまった。
『――5月9日朝。Sにコーヒーを買わされた。Yが机を蹴飛ばし、Tが嘲笑った。N君がお金を貸してくれた。嬉しい。5月9日昼――』
 ドクリ、と心臓が嫌な音を立てる。見てはいけないと思いながらも、目を逸らすことができない。
 震える指で、祐は手帳のページを繰った。
 毎日当たり前のように繰り返される、マルオへの蔑みと嫌がらせの数々が、事細かに記されていた。
(なんだよマルオ、普通に漢字書けるんじゃん……)
 祐はあらためて理解した。マルオは、必要以上に愚鈍な人間を装っているのだと。
 だったらマルオが、こんなものを残す理由は……。
 ――証拠にするつもりだ。
 ぞくり、と悪寒が走った。よくある新聞の社会面が浮かぶ。
『いじめ自殺の遺族が、加害者を訴える』
 黒く歪な文字が蠢く手帳から、祐はNの文字を拾い集めていく。マルオをいじめていた奴らが、罰を受けるのは自業自得だ。でも祐は、マルオをフォローしてきた。心の中で嫌悪していたけれど、なるべく態度には出さないようにした。
 マルオだって祐には感謝しているはずだ。その証拠に、昨日の朝マルオを無視してしまったのに、何のわだかまりもなく祐に本を貸してくれたのだから……。
 手帳を繰る指先が、最後のページで止まった。
「なんだよ、これ……」
 身体から、一気に血の気が引いていく。全身の毛穴が総毛立つ。
『――6月13日夕方。N君が一人で教室にいた。ぼくの好きな本を読んで泣いていた。思い切って話しかけると、初めて笑顔を向けてくれた。これは運命だ。6月14日朝。N君がぼくを見て、わざとらしく目を逸らした。ぼくを好きになったことを、皆に知られたくないみたいだ。ぼくも恥ずかしいし、しばらくプラトニックな交際をしようと思う』
 気持ちが、悪い。
 堪えきれず、祐は乱暴に手帳を閉じた。文庫本と手帳をマルオの机に突っ込み、教室を飛び出す。
 微かに芽生え始めた、マルオへの同情や友情も、一瞬で消し飛んだ。
 もう二度と、マルオと関わらない。祐はそう決めた。

 ◆

 梅雨の長雨は、なかなか止まなかった。
 皮膚にまとわりつく湿気のように、マルオは祐にねっとりとした視線を送ってきた。
 今までは隣の席の須藤と、声の大きい山岸と高階に気を取られていて、斜め後ろで気配を殺すマルオは空気みたいに思っていた。
 でも一度気付いてしまえば、あとはもう背中の感覚で分かる。
 マルオは、常に祐を見ている。
 あの真っ黒いカーテンみたいな前髪の隙間から、授業中も、休み時間も。
 そして何度突っ返しても、毎朝祐の机には一冊の文庫本が入れられた。『読む暇が無いから、貸さないでくれ』とメモをつけたにも関わらず。
 それどころか、マルオは徐々に“妄想”を肥大させていった。
『今度の本は、正統派の冒険物だから、西野君も気に入ると思うよ』
『この本の主人公は、ちょっと西野君に似てるかな。クールで格好良くて、僕の憧れなんだ』
『西野君に貸す本が無くなってきたから、本屋で大人買いしちゃったよ』
 毎朝、本屋で平積みになっているラノベのシリーズが、一冊ずつ祐に“貢がれる”……。
 祐の心が限界を越えそうになった頃、事件は起きた。
 須藤が欠席し、山岸が二度目の王様になった翌日だった。

『ごめんね西野君。昨日山岸君に、お小遣いを全部取られちゃったんだ。だから今日は、旧作で我慢してね。古い本だけれど、ぼく的には名作だよ』
 
 その日、山岸は学校に来なかった。
 街を流れる伊瀬川の河口付近に、青黒い姿で浮かんでいた。

 ◆

「これは事件じゃなく事故です。皆も、あまり騒がないように」
 担任の薄っぺらい説明に、クラスの皆は無言で目配せし合った。
『事故っつっても、あの橋から落ちたんだろ? 普通あんなとこから落ちるかよ』『よじ登って、自殺したとか?』『アイツが自殺なんてするわけねぇだろ』『いや、須藤に脅されてたとかさぁ』『むしろ、須藤に殺されたんじゃね?』『それありえるわ』
 光に向かい飛び交う羽虫のように、クラスメイトたちは根拠のない噂をばら撒いた。
 そんな会話を耳にしても、須藤は飄々とした態度を崩さない。高階だけが、目を怒りの赤に染めていた。
 その日も、机の中には一冊の文庫本が入っていた。
『山岸君が死んじゃった理由を教えてあげる。この本に出てるんだ。これなら読んでくれるかな?』
 祐はその本を見て、戦慄した。
 ライトノベルというには、あまりにも禍々しい表紙の本だった。ジャンルはホラーにあたるのだろう。黒い背景色に浮かび上がる幾つも不気味なマネキン。それらの眼が、血の涙を流している。
 持ち帰る気にはならなかった。しかし、メッセージも気になって仕方が無い。迷った挙句、祐は休み時間パソコンルームに閉じこもり、パラパラと捲った。
 吐き気が出るような、おぞましい内容だった。
 黒魔術を操る主人公が、人を呪い次々と殺害していく。そのやり口は原始的で、恨みを持つ人物の身体を小さな人形(フィギュア)と同一化させるのだ。操り人形となったターゲットは、自ら腕を折り、目を抉り、身体をナイフで突き刺し……主人公は、その様子を高笑いしながら見物する。『神』となった主人公に罰は下されず、読後感は最悪だった。
 グロテスクな描写ばかりが連なる、ほとんど中身の無い物語。
 ただ、最後のページに貼りつけられた汚い文字――『山岸が死んだ理由』の一言が、この本に特別な意味を与えていた。
「まさか、な……」
 これはフィクションだ。いくらなんでも、この現代社会に『呪い』なんて、ありえない。
 あのタイミングで山岸が死んだのは、単なる偶然に過ぎない……。
 祐は何度も心に言い聞かせ、その本を閉じた。
 文庫本を小脇に挟み、パソコンルームを出てドアに鍵をかける。
「――おい」
 突然かけられた声に、祐は震えあがった。飛び退いた拍子に、肩がパソコンルームのドアに当たり、ガタンと大きな音を立てる。
「西野ビビり過ぎ」
「……あ、高階君」
 細く整えた眉を吊り上げ、祐に不審げな眼差しを向ける高階。俯いた祐は、すぐに胸倉を掴まれ上を向かされた。
「お前、山岸のこと何か知ってるんじゃねえだろーな」
「な、何のこと?」
「気付いたんだよ。お前の態度、最近妙だったってな……今だって、こそこそ隠れて気味悪い本読みやがって」
 ハッとして見下ろすと、文庫本が床に転がっていた。
(……まずい、あのメモを見られたら)
 高階が、祐を荷物のように放り出す。ドアに背中を打ちつけた祐は、ゲホゲホと咳こんだ。高階はその本を睨みつけると、拾い上げる代わりに上履きで容赦なく踏みつけた。
「ヤマの遺留品には、その日買った新作のゲームがあった……そんな奴が、自殺なんてするわけない。事故にしても、アイツは間違ってもあんな所から落ちるようなヘマはしない。絶対、殺されたんだよ……!」
 握り拳を震わせ、怒りを露わにする高階。祐の胸に、恐れとは違う感情が浮かび上がる。
(マルオには、死んで嬉しい存在だったけど、高階にとっては大事な友達だったんだ……)
 祐は顔を上げ、なるべく穏やかな声色で告げた。
「僕は、山岸君に何もしてない。殺す理由もないし、それ以前にできるわけがないよ……」
 高階の片腕に翻弄されるくらい、華奢な身体。大柄な山岸を、橋の欄干に持ち上げられるわけがない。
 祐の言いたいことを理解したのか、高階は「クソッ」と舌打ちし、そのまま立ち去った。
 一人になった祐は、汚れた文庫本の前にずるずると座り込んだ。

 翌日、高階は学校に来なかった。
 交通事故にあい、意識不明の重体……そして次の日には、命の火を消した。
 祐の机には、昨日と同じシリーズのホラーが収まっていた。

『昨日高階君、キミに酷いことをしただろう? だから罰が当たったんだよ』

 ◆

 花瓶が二つ置かれた教室。皆は声をひそめ、噂話を繰り返すばかり。
 一人目は、偶然。でも二人続くとなれば、必然……。
 祐は湧き上がる怯えをひた隠し、学校へ通い続けた。両親は共働きで、学校を休めば一人きりになってしまう。その方が不安だった。
(また、今日もある……)
 毎朝、変わらず机に入れられる文庫本。
 メッセージに宿る狂気に、祐は追い詰められていく。
『だいぶ静かになったね。もうぼくたち教室で話しても平気かな? でも、邪魔者がもう一人いるか』
 祐は、隣に座る須藤の横顔を眺めた。仲間が二人死んだというのに、飄々とした涼しげな眼差しをしている。
 そんな姿に、死んだ二人も憧れていたのだ。そして須藤も、楽しげに二人の世話を焼いていた……。
 祐の胸に、一つの決意が宿った。
(もううんざりだ。ハッキリさせてやる……!)
 放課後、担任から須藤の連絡先を聞き出した祐は、駅前のファミレスに須藤を呼び出した。「僕も未だに信じられないんだけど」と前置きし、須藤に全てを打ち明けた。
 無表情で聞いていた須藤は、氷の溶けたアイスコーヒーを一気に飲み干すと、地を這うような低い声で呟いた。
「ヤツの家、どこだよ」
「もしかして、乗り込むつもり?」
「ああ。住所教えろ」
「ちょっと待って。僕も住所なんて知らないし、その前に、危険だよ」
 波がかった茶髪の前髪をグイッとかきあげ、須藤が祐を睨みつけた。鋭い眼光は、高階の比ではない。ドクドクと脈打つ心臓を抑え、祐は伝えた。
「まだ証拠があるわけじゃないし、何より二人が死んだのは、単なる偶然って可能性もある……むしろ、そっちの方が確率高いし。もっと慎重に動こうよ。まずは証拠を見つけないと」
 有能なブレーンである祐の説得は成功した。須藤はふっと視線を緩めると、店員に手を振りコーヒーのお代わりを頼む。その二の腕の太さや、耳元で揺れる複数のピアスが、今の祐にはやけに心強く思える。
(もし山岸と高階が、何か“物理的な”方法で殺されたなら、それは油断があったからだ。須藤なら、油断さえしなければ大丈夫……)
 祐は窓の外を見やり、溜息をついた。
 車のヘッドライトが、残像を残し次々と通り過ぎて行く。店内にもたくさんの客がいる。目の前には、誰よりも頼もしい味方がいる。
 それでも祐は、不安を消し去ることはできなかった。
 暗い闇の中に、血を流す瞳が浮かんでいるような気がして。

 ◆

 澄み渡る夜空には、無数の星が瞬く。その片隅に浮かぶ赤みを帯びた満月が、自転車を漕ぐ祐の影を、細く長く見せる。
 祐が待ち合わせ場所のコンビニに到着すると、そこには既に一台のマウンテンバイクが止まっていた。しかし、店内の雑誌コーナーに人影は無い。携帯を取り出すと、須藤からメールが入っていた。
『早めについたから、この辺ぶらぶらしてる』
「全く、協調性が無いヤツ……」
 祐は溜息をつき、『予定通り、今からマルオの家に向かうよ』と返信した。
 夜遅くに、突然クラスメイトの実家を訪問するのは、高校生としての道徳に反する。でも今回はそれが目的だ。
 今日祐は、教室で須藤に一発殴られた。もちろん、マルオに見せるためだ。
 マルオは常に“祐”を中心に動いている。山岸が死んだのは、本を買う資金を奪われたせいで、高階のケースは祐に乱暴したせい。その後マルオが大人しくしていたのは、須藤が祐に対して何もしてこないから。
 つまり『恨み』というエネルギーがなければ、マルオは何もできない。祐はそう睨んでいた。
(この行動は、危険な賭けだ。でも何かしなきゃ、僕の頭がおかしくなる)
 逆恨みしたマルオが怪しい行動をしないか、マルオの自宅をチェックする。まずは祐一人で出向いて安心させ、何か起きたら近くに控えている須藤に合図する。そんな作戦だった。
 プリントアウトした地図を片手に、祐は歩き出す。コンビニから先は、雑木林の間を抜ける細いあぜ道。
「なんか、一人肝試しって感じだな……」
 暗闇への恐れを無理やり笑い飛ばし、祐はザクザクと草を踏みしめて進む。幸い雑木林はこぢんまりとしたもので、すぐに木立はまばらになり、視界に赤い屋根が迫ってきた。
「うわぁ……」
 その家は、祐のイメージを遥かに越える豪華な邸宅だった。
 例えるなら、ゲームに出てくる森の奥の魔女の館。メルヘンチックなデザインの門に、玄関に繋がる緩やかな煉瓦のポーチ。庭先には、巨大な常緑樹。真横に伸びた太い枝には、ニ本のロープと板をくくりつけた、手作りのブランコ。
 薄い雲がかかり、月明かりが弱まる。その一瞬、祐は幻を見た。
 ブランコを漕ぐマルオと、背を押す父親、微笑む母親。笑顔が溢れる、楽園のような庭――。
 再び月明かりが庭を照らし、幻は消えた。楽園は一気に色を失う。
 割れたまま放置されたレンガ、雑草に覆われた庭、苔むし緑色に変色した白壁。ロープが片方ちぎれ、板がひっかかるだけのブランコの残骸……。
 祐はその光景に背を向け、玄関へ向かった。なけなしの勇気を出してチャイムを鳴らす。
 出迎えてくれたのは、にこやかに微笑む車椅子の男だった。

「そう、良広のお友達……今アイツは風呂に入ったばかりなんですよ。まあ、上がってください」
 男は手慣れた様子で車椅子を操り、祐を居間に招き入れた。小太りなマルオとは似付かない、精悍な顔立ちに引きしまった体躯の男だった。
 祐は以前テレビで見た、パラリンピックの選手を思い出す。自分の身体を腕だけで操るためには、相当な体力が必要なのだろう。その努力を越えれば、車椅子はこうして見事な足代わりになってくれる。
 通されたのは、オレンジの間接照明が灯る、モダンなリビングルーム。天井は二階分吹き抜けになっていて、剥き出しになった太い梁が数本、空間を横切っている。梁につけられた大きなシーリングファンが、カラカラと音を立て回る。
 ダイニングテーブルに腰かけた祐は、落ち着かない気分で室内を見渡した。男はテーブルに置かれたままの、いつ使われたか分からないティーセットを膝の上に乗せ、カウンターキッチンの奥へ運ぶ。ガチャガチャと音を立てて洗い、新たにお茶を注ぎながら、独り言のように身の上話を語る。
「以前は、建築士として腕を振るっていたんですよ。この家も自分で建てたんです。試しに導入した最新のバリアフリー設備が、まさかこんな形で役立つなんて……皮肉なものですね」
 男が笑う。片方の唇の端だけを浮かせる、不自然な表情で。
「あの、すごく立派な家だと、思います」
 祐はなんとか愛想笑いを返した。須藤の武勇伝とは比較にならない、いたたまれない話だ。
 その後男は、止まらない昔話を続けた。出された紅茶の湯気が薄れていく。祐は時計を気にしたものの、さほど時間が経っていないことも分かっていた。
 短い時間をこれだけ苦痛に感じるのは、男の話のせいだけではない。この室内に漂う『悪臭』のせいだ。
 モダンな家にそぐわない、吐き気をもよおすような生ゴミの臭い。
 よく見れば男の肌は脂ぎり、髭も髪も伸び放題だ。この不潔さも、空気を読めない会話も、祐の思い描くマルオの父親像にピタリと当てはまる。
「そこで提案したんだ。『せっかく立派な木があるんだから、ここにブランコを作ればいいじゃないか』ってね。うちの妻も良広も大賛成で……」
 さすがに辟易し、祐は目の前の男から視線を外した。窓の外の暗闇には、赤い瞳がチラつく。
(二人の死は、きっと偶然なんだ。だってマルオは僕と同じで非力だし、放課後はこの父親の世話で手一杯なんだから……たまたま重なった事故に、あの本の内容を重ねて自己陶酔してるんだ)
 心に浮かぶ疑惑と、それを否定する理性。葛藤する祐を前に、男の舌は滑らかだった。
 男の中で、記憶のアルバムが少しずつ捲れていく。と同時に、穏やかな顔つきが徐々に変わっていく。苛酷な仕事に行き詰った末の悲劇。身体が不自由になった彼に対し、態度を豹変させた妻への恨み事。祐はもう愛想笑いすらできず、その話を聞き流した。
『――ボーン、ボーン、ボーン……』
 柱時計が、夜九時を告げる鐘を鳴らす。と、男は不意に笑顔を取り戻し、祐に問いかけた。
「そうだ。わたしも良広も、昔から本が好きでね。かなりの蔵書があるんだ。ちょっと見てみるかい?」
「あの、マルオ……良広君は、まだ?」
「ああ、今日はずいぶん時間がかかるな。呼んで来よう。あそこが書庫だから、好きに見ていてくれ」
 男が黒ずんだ指先を伸ばし、リビングの奥の引き戸を示す。
 誘いをかけるようで、その言葉は強制だった。祐が重い腰を上げるのを見届けると、男はギシギシと車椅子を動かしリビングを去った。その音が遠ざかるのを確認し、祐はパーカーのポケットから携帯を取り出す。
 須藤に電話しようかと思い、まだ早いと止めた。『何かあったら連絡する』という手筈だ。あの須藤のことだから、連絡がきたとなれば、血気盛んに乗り込んでくるだろう。
(まずは、証拠を見つけてからだ。マルオがあの二人の死と、何らかの関係があるような……)
 思考を巡らせた祐は、妙にあの『書庫』が気になった。何か証拠を漁るなら、フリーで動ける今がチャンスだ。
 なけなしの勇気を振り絞り、祐はゴミが散らばり虫の這いずる床を、恐る恐る踏み進む。
 引き戸になっている厚いドアを開くと、中は四畳半ほどの広さの部屋だった。窓が無いため、漆黒の闇が広がっている。リビングの淡い照明では、暗過ぎて何も見えない。ただ、全ての壁面がみっちりと本で埋まっていることだけは分かった。
 部屋の明かりを求めて壁際を見やれば、ちょうどスイッチの上に枯れ葉のような黒い虫。伸ばしかけた手を瞬時に引っ込める。怖気を堪え、暗闇に携帯のディスプレーをかざしながら進んだ。
 携帯の頼りない明かりが、最低限の情報を伝える。すぐ右手の本棚に並ぶのは、建築関係の本と時代小説に、哲学書。そのまま左へずれて正面の本棚は、母親のものだろう。ガーデニングや料理など、女性らしい実用書……と、祐の目が一冊の本を捉えた。何の変哲もない、バスルームのインテリア本だ。
 途端に、心臓が激しく騒ぎ出す。手のひらに汗が滲む。
(あのマルオが……こんなに長く、風呂に入るか?)
 何かがおかしい。咄嗟に踵を返した祐は、携帯を滑り落とした。
 ――ゴトン!
「っと。ヤバイ」
 屈みこんだ祐は、床を凝視したまま固まった。
 カーペットの上に、何か奇妙なモノがある。再び携帯を手にし、ディスプレイ画面を床に向ける。
 くすんだ灰色のカーペット。その上に赤黒いペンキで、不可解な模様が描かれている。中央には大きな円、その内側には梵字のような奇妙な形のマークが散りばめられている。
 あの本に描かれていた、忌わしい魔術の紋様――
 円陣の中心に横たえられた人形が、ターゲットの魂を吸い込んで……。
「そ、そうだ、須藤に連絡を……」
 祐は携帯を手に立ち上がった。ガクガクと震えながらも通話ボタンを押した、その刹那。
 虫が飛ぶ音がする。いやに規則的な『ブーン』という音が、小刻みに聴こえる。
 激しく高ぶる胸を抑え、祐は振り向いた。視界の先、部屋の左奥隅に小さな青い光。蛍の灯のような儚い点滅。
 足が勝手に、その場所へ向かう。かざした携帯のライトが、真実を映し出す。
「――ッ!」
 床に転がり、チカチカと光る『着信アリ』の印。
 その脇にあったのは……。
「あ、あああぁあああああぁあ……」
 本棚を背にし、マネキンのようにもたれかかる須藤。くたりと胸へ落ちた頭部はぐっしょりと濡れ、Tシャツは鮮やかな赤に染まっている。
 後退ろうとするも、強張った身体が言うことを聞かない。
 まだ車椅子が戻ってくる気配はない。今のうちに、早く、早く――
「おや、どうしたんだい? 西野君」
 その瞬間、部屋の明かりがつき……振り向いた祐の鼓動は、止まりかけた。
 男は、自らの“両足で”立っていた。右手には、血糊のこびりついた斧をぶらさげて。
「な、なんで……その足……」
 薄汚れたカーペットの上、虫の死骸を踏みながら、祐は紋様の上を後退していく。室内の空気は澱み、自ずと全身の毛穴から汗が噴き出す。
「良広が治してくれたんだよ……あの子は、この世界の神なんだ。だからあの子を虐げる者には、天罰が下る……」
 男が恍惚とした眼差しで微笑む。目眩に襲われた祐は、堪え切れずその場にへたり込んだ。
 男の血走った目が見開かれ、祐を初めて見る相手のように見つめる。不思議そうに小首を傾げ、手にした斧を高く掲げる。
「やめろ、来るな……」
 祐の理性は消えて無くなる。僅かに残った本能が、祐に「逃げろ」と叫ぶものの、身体が言うことをきかない。禍々しい部屋の中央に座り込んだまま、歯の根をガチガチと打ち鳴らし、掠れ声を漏らすことしかできない。
 男が一歩一歩、歩み寄る。
 振り上げた斧が、祐の目の前に迫ったそのとき――
「止めて!」
 祐の目からは、いつしか涙が流れていた。ぼやける視界の中、見慣れたあの顔が迫ってくる。
 飛び込んで来たのは、マルオだった。本当に入浴していたのだろうか、べっとりと額に張り付いた前髪から、ポタポタと水滴が落ちている。
「西野君は殺さないで!」
 祐の前で立て膝をつき、両腕を真横に伸ばす。肩越しに見える男の顔には、明らかな戸惑いが浮かんでいた。
「良広……」
「N君は……西野君は、ぼくの大事なひとなんだ。何度もそう言ったよね?」
 男はバツが悪そうに下唇を噛み、項垂れた。その眼に、先程までの殺意は感じられない。それでも祐は、そこから一歩も動けなかった。完全に腰が抜けてしまったようだ。
 床についた手の甲を、黒い虫が這いずる。背後からは「うう……」と鈍い呻き声が聴こえる。須藤はまだ死んでいない。命だけは助かるのだという微かな期待が安堵の涙に変わり、祐の頬を止め処なく濡らす。
 マルオはそんな祐を穏やかな眼差しで見つめ、ポンと肩を叩いてきた。そのままのそりと立ち上がり、後ろ歩きに遠ざかっていく。男と良く似た、唇の端を持ち上げる微笑で。片手には、なぜか小さな人形を握っている。マルオが一歩後ずさるたびに、床にはナメクジが這ったような水跡が残る。
(何だ……何かが、おかしい……)
 祐は眉を顰めた。素早く瞬きし、涙を追い出してマルオの姿に目を凝らす。
 良く見れば、マルオは全身びしょ濡れだった。奇妙な白装束姿に、青褪めた頬。濡れた前髪の奥には、どこか嬉しそうに細められた二つの瞳。
 刹那、祐の心に蘇る一つの挿絵。山岸が死んだ日、薄暗いパソコンルームでパラパラと捲った、おぞましいホラーに出てくる『儀式』のシーン。
(そうだ……確かあの小説の主人公は、新たな操り人形を生み出す前に、こんな格好をしていた……)
 錯乱しかける頭を何とか動かし、祐は記憶の糸を手繰った。
 主人公が『儀式』を行うために必要なアイテムは、操りたい相手の髪や持ち物。そして器にする人形。術者は水に打たれ禊ぎを行った後、円陣の中に人形を置く。
 ストーリーと今の状況を比べて、決定的に違うのは人形の位置だ。
 本来円陣に置かれるべきは、マルオが手にした“人形”の方。
 しかし、今ここに居るのは祐で、人形はマルオと一緒に……。
「マル、オ……?」
 祐の声は完全に掠れ、喉の奥に絡まった。マルオは右手に握った人形をチラリと気にし「上手くいくかなぁ」と囁いた。
 そして、マルオの裸足の足が、紋様の円陣からはみ出した瞬間。
 ――プツン。
 一瞬、祐の視界はスイッチを切ったように、漆黒の闇に覆われた。同時に襲いかかる、猛烈な寒気。まるで液体窒素を浴びせかけられた植物のよう。身体は強張って硬直し、身じろぎ一つできない。ただ「暗い、寒い」という鮮烈な感覚だけが祐を支配している。祐は思わずあえぎ声を漏らし……
(――ッ?)
 声が出ない。それどころか、唇を動かした感覚すらない。
 戸惑う祐の頭上から、奇妙な声が響いた。耳鳴りのように歪で、圧倒的な存在感を示す――神の声。
「良かった、成功したみたいだね」
 次の瞬間、祐はようやく暗闇から解放された。しかし眼下に広がった世界は、にわかに信じがたいものだった。
(まさか……そん、な……嘘だ――ッ!)
 絶叫――したはずが、何も聞こえない。そんな祐の頭をそっと撫でる『指』。「ちょっと待ってね」の言葉と同時に、視界がぐわりと揺れ動いた。ぶれた写真を思わせる残像を描きながら、遠くへ。
 祐は心のどこかで、自分が“放り投げられた”のだと悟った。そう、誰かの手で軽々と、まるで人形のように……。
 床に落ちた痛みは感じなかった。動くことの無い四肢を横たえ、天井の明かりを見つめる祐に、スッと影が差した。
 そこには、嬉しそうに微笑む、巨大な『自分の顔』があった。
「いいよ。“そっち”は殺しちゃって」
 頭の中に直接響く、邪悪な神の声。再び抗えない力で持ち上げられ、身体の向きを変えられる。
 見せつけられたのは、虚ろな目をして佇むマルオ。その奥に立つマルオの父親が、命じられるままに動く。斧をゆらりと高く掲げ、愛する我が子へと一気に振り落とす。
 一瞬、何もかもが赤に染まった。
 深々と斧がめり込んだマルオの身体は、力無く床に崩れ落ちた。頭蓋骨は砕け、赤黒い血液が激しい勢いで四方へ飛び散る。床にも天井にも、マルオの着ていた白装束にも、手斧をだらりとぶら下げた男の全身にも。
 残酷な光景をまざまざと見せつけられたというのに、祐の身体が怖気に震えることはない。心は恐怖に張り裂けそうなのに、目を閉じることも、顔を背けることもできない。
 そんな祐の前に、再び巨大な『祐の顔』が迫る。潤んだ瞳に歓喜の光を浮かべ、祐を正面から覗きこんでくる。
 形良い唇が薄らと開かれ、もたらされた最期の台詞は……。

 ――キミの全部を、ようやく手に入れた。心も、身体も。

 ◆

 その後、小さな町は騒然となった。
 気が狂い、妖しい魔術に傾倒した男が起こした惨劇。妻を殺して庭に埋めた後、溺愛する息子をいじめていたと目される人間を次々と殺害、最後はその息子まで手にかけた。
 彼自身も、ありえない事故の犠牲になった。自宅で最後の殺戮を行った直後、リビングに取り付けられていた巨大なファンが落ち、即死だったという。

 生き残った祐と、九死に一生を得た須藤の二人は、真新しい墓石の前に佇んでいた。須藤が『丸尾家』と記された墓標に花を添え、手を合わせる。
 須藤は頭に包帯を巻いているものの、自力で歩けるくらいには回復した。髪を丸刈りにしたせいか、不良には見えない、牙を抜かれた獣のような顔つきをしている。「借りてた金、返すよ」と千円札を数枚、ライターの火で燃やす。
「おい、お前もやれよ」
 須藤の横顔に見とれていた“祐”は、慌てて墓石の前に立った。一応須藤に倣い手を合わせたものの、悲しみも痛みも、何も感じなかった。ただ、ゆらゆらと立ち上る線香の煙が、どこか悲しげに蠢いているように見える。
 そのままぼんやりと墓石を眺め続ける祐に、須藤が「行こうぜ」と声をかける。
 祐は頷くと、真夏の太陽に向かって大きく伸びをした。持ち上がった黒いベストの奥、Tシャツの胸ポケットから小さな人形が一瞬顔を覗かせる。祐はその人形の頭を、指先でそっと撫でた。まるで聞きわけのない子どもをあやすように。
 そしてもう一度墓石を見つめると、唇の端を軽く持ち上げ、囁いた。

「さよなら、マルオ君――」

(第一部・了)


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