喉ニ小骨ガ

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「三分間のボーイミーツガール」
Fairy tale~微笑む君に、小さな花を~


Fairy tale~微笑む君に、小さな花を~ 本編

2010.10.25  *Edit 

※pixiv小説企画『三分間のボーイミーツガール』投稿作(大穴2)です。よろしければ、こちらのページからどうぞ。→【pixiv小説版


「――ねぇ、五十嵐(いがらし)くん。この花、いつ咲くの?」
 土いじりに熱中する僕に話しかけてくる、女子にしては落ち着いたアルトの声。
 振り向かなくても分かる。クラス委員の麻生(あそう)さんだ。
 僕は俯いたまま、地面に向かってボソッと呟いた。
「梅雨が明ける頃には、咲くと思うよ」
「そう、楽しみだね」
 背中越しに感じる、柔らかな午後の日差しと、太陽みたいな笑い声。聞いているだけで、心がポカポカ温まってくる。僕はそんな気持ちを押し殺し、淡々とスコップを動かし続けた。
 クラスで一番小柄な麻生さんは、中三には見えないくらい童顔で、とても可愛らしい顔立ちをしている。子犬のように大きな瞳と、ふっくらしたピンク色の頬、小さくて赤い花びらのような唇。胸元でブルーのリボンを結んだセーラー服に、清楚なポニーテールが良く似合う。
 麻生さんは毎日、腰の高さまである大きなゴミ箱を抱えて、この校舎裏にやってくる。ゴミを捨てるついでに少し遠回りして、僕のいる園芸部の花壇まで。
 ゴミ捨てなんて面倒な雑用を押し付けられても、決して明るい笑顔を絶やさない、クラスの人気者。しかもいじめられっこの僕に話しかけてくれる、典型的なイイヒトだ。
 最初は僕も「きっと担任から、仲良くしてやってくれと頼まれているんだろう」と斜に構えていた。ただ、何度も声をかけられるうちに、彼女のイメージは少しずつ塗り替えられていった。色の無いデッサンが、淡い水彩画に変わるように。
 だから僕は麻生さんに、一つだけお願いをした。『他の奴らがいる場所では、僕に話しかけないでくれ』と。
 今の僕は、皆の悪意を受け止めるゴミ箱みたいなものだ。一緒にいれば、綺麗な麻生さんまで汚してしまうかもしれない……。
 麻生さんは悲しげに目を伏せたものの、最後は小さく頷いてくれた。
「それで、どんな花が咲くの?」
 細長い影が近づき、僕の丸い影に寄り添う。小難しい花の名前を告げようとした僕は、その言葉を喉の奥に引っ込めた。
 麻生さんが欲しいのは、そういう『知識』じゃない……そんな気がしたから。
「三センチくらいの花が咲くよ。色は薄い紫かな。秋には枯れるけど、種がたくさん取れるんだ」
「ふぅん。薄紫ってわたしの一番好きな色だ。種ができたら、少し分けてくれない? 来年うちで育ててみたいな。でも、育てるのって難しい?」
「土を乾燥させなければ、大丈夫だよ。元々雑草に近い花だから、放っておいても勝手に育つし」
「へぇー、それもわたしの性格にぴったり! 切り花はすぐ枯れちゃうから寂しいんだよね。可愛いプランターに入れて、窓際に置きたいなぁ」
 それから麻生さんは、自分の部屋の出窓に飾ったぬいぐるみの話を楽しそうにして、「いけない、教室戻らなきゃ!」と慌てて走り去った。これが定番のパターンだ。
 他愛もない、ほんの三分程度の会話。僕は背中を向けたままで、振り向きもしない。
 だから麻生さんは、きっと気付いていない。僕がこの時間を、どれくらい大切に思っているかを。
 僕にとって、学校は息苦しいだけの場所だった。周囲から笑われるのも、乱暴な男子に殴られるのも、そんな姿を麻生さんに見られることも、全てが耐え難い苦痛で……もうとっくに『学校へ行かない』覚悟はできていた。
 でも、この花が咲くまではここに通おう。
 花が枯れても、種ができるまで通おう。種が取れたら、それを麻生さんにあげよう。そして、春に咲く花をまた植えよう。
 次の花が咲く頃、僕らは卒業する。
「それまでには……」
 独りごちながら、ゆっくりと立ち上がる。手のひらの土をジャージの裾で軽くはたき、遠いビル影に沈みゆく太陽を見やる。心ごと優しく包むような、オレンジの光を浴びて、思う。
 ほんの少しの、勇気が欲しい。
 太陽みたいに眩しい彼女と、真っ直ぐ向き合えるだけの、ささやかな勇気が。

 それからすぐに、梅雨がやってきた。土いじりも水やりも対して要らないのに、僕は傘を手に花壇へ向かった。
 麻生さんも、毎日ゴミ捨てを続けた。大粒の雨が足元をぬかるませる日も、「冷たいよー」と叫びながら、傘もささずに走ってくる。
「誰かに手伝ってもらえばいいのに。そしたら傘が持てるだろ?」
「ううん、これはわたしの仕事だからいいのッ」
 強がってプイと横を向くと、ポニーテールの毛先から水滴が飛び散る。僕はやむなく立ち上がり、自分の傘を差し出して昇降口まで送り届けた。麻生さんは「ありがとう」と微笑んでくれた。僕は、ぎこちない笑みを返した。
 そんな僕らの姿を、誰かが見ていることには、ちっとも気付かなかった。
 事件は、梅雨の晴れ間に起こった。放課後いつも通り花壇へ向かった僕は、その場に力無く崩れ落ちた。
 多数の靴で踏み荒らされ、つぼみのままくたりと倒れた花……。
 僕の中で、何かがプツンと切れた。
 翌日から、僕は学校へ行かなくなった。ときどき麻生さんが、クラスの代表としてプリントの類を届けにやってきたけれど、僕はずっと部屋に閉じこもっていた。
 両親は、優秀な兄貴の人生に夢中だから、不良品の僕に構いやしない。僕の生活はゲーム中心になり、いつしか昼夜が逆転した。
 梅雨が明けた頃、真夜中にコンビニへ出かけた僕は、交通事故で呆気なく――死んだ。

 ◆

 元々僕の生まれ育った町は、緑にあふれる田舎町だった。
 兄貴と違って内向的だった僕は、誰かと遊ぶより一人でいることを好んだ。道端に生える木や草や虫たちを眺めていれば、充分幸せだった。
 両親が『兄貴を良い高校に通わせるために』、故郷を離れると決めたのは、僕が小学校を卒業する頃。
 灰色のコンクリートに覆われた街は、僕の目には冷たい檻に見えた。
 そして中学に入学した日。自己紹介で僕は上手く喋ることができず、立ちつくしてしまった。クラスメイトは真っ赤になった僕を指差し、「あいつ訛ってるよ」と声を忍ばせて嗤った。
 そのとき、僕のポジションは決まってしまった。
 家にも学校にも、僕の居場所は無い。心のよりどころは、学校の裏庭に作られた小さな花壇だけだった。

「――以上が、五十嵐実(みのる)君の人生の記録です。間違いないですか? ドゥーユーアンダスタン?」
「はぁ……イエスアイアム」
「ほら、もっと腹から声出しなさい! そんなんじゃ、生まれ変わっても世の中渡って行けないわよ?」
 そういって、僕の目の前にビシッと人差し指をつきつけた、一人の少女。
 身長は対して変わらないのに、僕を斜め上から見下ろしているのは、彼女が『宙に浮いている』せいだ。
 ずるずると床を引きずるくらい、丈の長い真っ黒なローブを羽織り、首にはジャラッと音を立てるドクロのネックレス。何より目を引くのは、背負っている巨大な鎌。そのいでたちは、漫画で目にした“死神”そのもの。
 というか、彼女は本物の死神なのだ。
「ったく、困ったわねぇ」
 死神さんはスウッと地面――孫悟空が乗るような小ぶりな雲の上――に降り立ち、腰まで伸ばした赤毛をバサリとかきあげる。ルビーのような紅い瞳を不満げに細め、頬をぷっくりと膨らませて。
 こうして真正面から見ると、死神さんが人間離れした美貌の持ち主と分かる。外見だけなら、女子高生くらいだ。そんな子と二人きりだというのに、僕の心臓はピクリとも動かない。
 当たり前だ。僕は、既に死んでいるんだから。
「そう、キミが死んでから丸四日。昨日はお式も終わって、無事に身体もこの世から消えました。ご家族も、お友達も、ちゃんとさよならしに来てくれて……キミもそのシーン見たでしょ?」
「はい……見ました」
 コクンと素直に頷き、僕は頭の中で再確認した。
 確かに、僕は死んだのだ。車に轢かれた瞬間の痛みも覚えているし、自分の葬式だって雲の上から見届けた。
「なのに成仏できないなんて、おかしいでしょ。一体何が不満なの?」
 死神さんは可愛らしく小首を傾げると、背にした巨大鎌を軽々と抜き、天高く掲げた。それを何の前触れも無く、僕の頭に向けて振りおろす。ギラリと光る一メートルもの刃が目の前に迫り、僕は反射的に首をすくめる。
 ――スカッ!
「ダメだこりゃ。魂がこの世にこびりついちゃってるわ……」
 何も刈り取れなかった刃先にハァッと溜息を吹きかけつつ、死神さんが愚痴る。
「もぉ、不満があるならさっさと言ってよね。狩らなきゃいけない魂は、キミの他にもいっぱいあるんだから!」
「す、すみません。だけど僕にも、何が何だか……」
「そういう無自覚な魂が、一番タチ悪いんだよねぇ。ほら、モテてるのに全然自覚無くて、美少女ハーレム作っちゃうラノベの主人公男子とかさぁ」
 アイツらは女の敵だとぶつぶつ呟かれて、僕は再び「すみません」と頭を下げる。死神さんの方こそ、ラノベのキャラみたいだなと思いながら。
 そして僕自身はといえば、きっと名もなき『クラスメイトA』なのだろう……。
「もうしょーがないから、既成事実でっちあげるか。キミだって、早く人生リセットしたいでしょ?」
 疑いようもないくらい、甘美な誘い。なのに頷こうとすると、電池切れしたはずの心臓がチクンと痛む。僕はそこに手を当てて、深く考え込んだ。
 死神さんの解説によると、どうやら僕は『悪霊』になりかけの魂として、この世にしぶとく留まっているらしい。
 とはいえ僕の人生は、噛み終わったガムくらい味気ないもので、未練なんてちっとも思いつかない。
「じゃ、嘘にならない範囲で、それっぽい理由考えてよ。会いたい人がいるとか、やり残したことがあるとかさー」
「はぁ……そう言われましても」
 僕の知り合いには、昨日の葬式で全員顔を合わせた。家族も、親戚も、そしてクラスメイトたちも。
 家族は泣いていたけれど、どこかホッとしているのが分かった。いわゆる“エリート”な両親と兄貴は、社会からドロップアウトしてしまった僕を持て余していたから。しかも、両親の涙の陰には『弟の方で良かった』なんて、あまり知りたくない本音も透けて見えた。
 一方、学校の知り合いは、誰ひとり泣いていなかった。担任も、僕をいじめていた奴らも、それなりに親しかったと言える麻生さんでさえ……粛々と焼香を済ませ、会場を出て行った。
 麻生さんはずっと無表情で、その感情も暗い靄に包まれて良く見えなかった。ただ僕は、麻生さんからトレードマークの笑顔を奪ったというだけで、軽い罪悪感を覚えた。
 そして、風に揺れる薄紫の可憐な花を、心に思い描いた。
 あの花を見せてあげる約束を、僕は守れなかった。でも人気者の麻生さんにとっては、すぐ忘れてしまうくらい些細なことだ……。
 だから、僕の中に『未練』なんてものは、全く存在しないのだ。
 何度もそう説明したのに、死神さんは納得してくれない。あれやこれやと、僕を成仏させるための策を練り続ける。
「あっ、そうだ! あれじゃない? キミを轢いた犯人への恨みとか……」
「いえ、別に。信号の無い交差点で、ちゃんと注意しなかった僕も悪いんですし」
「じゃあ、あのときコンビニで読めなかった、漫画の続きが気になるとか?」
「まあ、それは確かに、気になるといえば気になるんですが」
「――よし、その線で行こう! なるべくリアルな感じでねつ造しとくわッ!」
 死神さんは、黒いローブの腹をもぞもぞとまさぐった。取り出したのは、真っ黒なノートパソコン。雲の上にドスンと座り込み胡坐をかくと、僕の気持ちをテキトーに代弁し始める。
「えーと、『安西先生(えんまさま)へ。漫画が……読みたいです……。特に、財界美少女化漫画『けいだんれんっ!』の“あずにゃん”こと、東芝子(あずましばこ)たんのゲリラ講演会の結果が死ぬほど気になり、死んでも死にきれません。どうか一度だけ現世に戻るチャンスを下さい』と……今からこのデータ、閻魔サマに送るから。そのミッションクリアしたら、キミの魂は晴れて地獄に強制送還ね!」
 嬉々として恐ろしげなことを叫ぶ死神さん。僕が止める間も無くデータは送信され、パソコンが『キュピーン』と音を立てた。
「お、さっそく許可が下りたわ。キミに与えられた時間は三分ね。その間は下界で自由に動いていいから、スポーツマンシップにのっとって、悔いのないよう全力で立ち読みしてらっしゃい。あ、キミの姿も行動も、人間には見えないから安心してねッ」
 良く分からないエールと共に、死神さんが大鎌の背でバシンと背中を叩いた。その瞬間、僕は雲の上から地上へ降り立った。
 僕が命を落とした、あの交差点へ。

 ◆

 ぴょんぴょん。
 僕は軽くジャンプしてみた。身体は生きていた頃と遜色ない重さだ。足もあるし服も着ている。ただし見た目がゼリーみたいに半透明で、向こうの景色が透けて見える。まさに透明人間。
 次に、きょろっと周囲を見渡してみた。
 僕が引きこもっている間に、季節は本格的な夏へと移り変わっていたらしい。街路樹の葉は逞しく生い茂り、どこからかジージーとせわしない蝉の鳴き声。茜色に染まった空には、気の早い三日月が薄く引っかかっている。
 コンビニのある国道から一本裏の、見通しの悪い交差点。近くに人気は無く、『事故』のあったことを示す黄色い花束だけが、僅かな生命の力を放っていた。
 僕はそこに歩み寄り、しおれかけの花束を眺めた。屈みこみ、顔を近づけて匂いを嗅ぎ、花弁にそっと指先で触れてみる。
 半透明の身体が伝えるのは、生きていた頃の半分くらいの感覚だった。今ならバラの棘を指に刺しても、痛みを感じないだろう。
 僕は、誰にも届かない言葉を、ポツリと落とした。
「未練が無いなんて、嘘だ。僕はもっと生きていたかった……」
 僕にも人並みの夢はあった。高校に行かなくても、大検を受けて農業系の大学に入って、将来は花に関わる仕事がしたい。漠然とそう思っていた。
「今さら、遅いよな……」
 ――ザリッ、ザリッ。
 突然、誰かの足音が聞こえた。普通の人間には見えないと知りつつも、つい隠れたくなってしまう。慌てて近くの電柱の陰に逃げ込んだ僕は、思わず息を呑んだ。
 現れたのは、小さな花束を手にした麻生さんだった。
 重たい身体を引きずるような、鈍い足取りでやってくる。校則を守った膝丈のプリーツスカートに、半袖のセーラー服という、葬式で見たままのいでたち。
 しかし、髪をポニーテールに結わえず、背中に垂らしているせいだろうか? いつもの何倍も大人びて、まるで別人のように見える。
 麻生さんは、ついさっき僕がいた場所にしゃがみこみ、花束を置いた。
 夕闇にぼんやりと浮かび上がる、儚げな薄紫。その花に、僕は見覚えがあった。
 それは、僕が彼女に見せてあげたかった――
「……五十嵐くん」
 呼びかけられて、身体が勝手に動き出す。音も立てず、麻生さんの傍へと。
 当然、僕の姿が見つかることはない。麻生さんは独りきりで、静かに頭を垂れていた。
 横髪を耳にかける指先の、爪の隙間に入り込んだ細かな土。軍手をせずに花壇の土をいじると、すぐにこうなる。
 麻生さんはいつも、真っ白くて綺麗な手をしていたのに……。
「五十嵐君。あの花、ちゃんと咲いたよ。誰かに踏まれても、負けないで、生きてたよ」
 呟いた唇が、堪え切れずわなないた。麻生さんは嗚咽を漏らすまいと、必死で唇を噛みしめる。色を無くすほど強く。
 けれど、瞳から溢れだす涙は止められなかった。
「五十嵐くん……五十嵐くん……」
 華奢な背を丸め、薄紫の小花を見つめる麻生さんの頬を伝い、靴先に降り注ぐ涙の雨。
 いつまでも止むことのない、温かな雨。
 花弁のような唇から紡がれる僕の名前は、呪文となって僕の魂を揺さぶる。
 なのに――僕は、何もできなかった。
 道端に立ち尽くしたまま、永遠のような三分が過ぎた。

 ◆

 気付けば僕は、雲の上に転がっていた。
 首根っこを大鎌に引っ掛けられ、乱暴に投げ出されたというのに、身体は一切の痛みを感じない。心は締めつけられるように苦しくても、涙を流すことすらできない。
 全てが、遅すぎた。
「あのさぁ……なんかキミ、とことん不器用な子だよねぇ」
 僕の張り詰めた想いなど、全てお見通しなのだろう。死神さんの呆れ声が、容赦なく浴びせかけられる。
 一気に現実へ引き戻され、僕はペコリと頭を下げた。
「スミマセン……」
「別に、アタシに謝られてもねぇ。転生が遅れて、一番困るのはキミ自身なんだし?」
「実は、死神さんに一つお願いが」
「アーアーアー、聞きたくないーー面倒なお願いごととか、もう何万回ってやっつけて、アタシお腹いっぱいなんだからー」
 両手を耳に押し当てて、死神さんがぶんぶんと頭を左右に振る。紅い髪が歌舞伎みたいに振り乱れる姿を見て、自然と笑みが漏れた。と同時に、作りたてのガラス細工みたいに熱く脆かった心が、急激に冷えて行く。
 形の無い夢が、強固な決意に変わる。
「それにしてもキミって、薄倖の少年って顔してけっこうタフでしょ。目的の立ち読みもすっぽり忘れて、今さら三次元の女子に恋とか自覚しちゃってさぁ。ありえないっつーの。どーせなら目の前の美女に見とれろっちゅーねん!」
 腕組みし仁王立ちする死神さんの目尻が、キュッと釣り上がる。僕は本能に逆らわず、唇を開いた。
「えと……確かに死神さんは美人です」
「――ま、しょーがないなッ。お姉さんが何とかしてあげるから、そこ座って待ってなさい」
 一瞬で上機嫌になった死神さん。僕は雲の上に三角座りし、猛烈な勢いでノートパソコンを繰るその雄姿を見守った。
「ハイハイ、嘘はつきません。正直に報告しますよー。『ミッション失敗で、むしろ悪霊化進行中。ただし更生の意志も、二次募集にトライする意欲もアリ。生前の人徳ポイントはちょっと低いけど、とっても素直でイイ子なんですよ』と推薦文もつけてね。さて、本人の希望に沿って自然成仏させるには……」
 カチャカチャ。
 真剣にキーボードを叩く死神さんの眉間に、みるみる縦ジワが寄っていく。
「――うわ、六十九年もかかるの? ありえなさすぎッ!」
 ノートパソコンをお腹にしまうと、死神さんは雲の上にがっくりと膝をついた。僕はその場に正座し、額を雲の上に押し当てた。最大限の誠意を込めて。
「お願いします、もう一回だけチャンスをください!」
「ちょっと、キミねぇ……土下座されても困るって。頼むから、強制成仏プランに乗っかってくれない? 素敵な恋なら、来世でもできるんだし」
「嫌です! もう一度だけ、この身体であそこに行きたいんです!」
 僕は、必死で叫んだ。生きているときも、これほどの大声は出したことがない。「もういいから」と強引に顔を上げさせられるまで、叫び続けた。
 死神さんが、僕の瞳を覗きこんでくる。今までのテンションは封印して、落ち着いた大人の顔をして。駄々っ子を諭すような眼差しが、胸に突き刺さる。
 それでも目を逸らさず、僕は真摯に伝えた。
「どうしても、彼女に伝えたいことがあるんです……!」
 一言だけでいい。ただ「ありがとう」と言いたかった。
 できるなら、土にまみれた彼女の手を、優しく握って……。
 精一杯の想いを込めて、僕は死神さんを見つめ続けた。それでも彼女は難しい顔をしたまま、首を縦に振らない。
 僕はギュッと目を閉じ、なりふり構わず叫んだ。
「お願いします! 美人で優しい死神さん!」
「――あーもう、分かったわよ!」
 死神さんはすっくと立ち上がり、手にした大鎌で僕の首根っこを乱暴に引っ掛けた。
 そのまま小型雲を操り、夕陽に向かって猛スピードで飛んで行く。
「暴れないでよ、落っこちるからね!」
「ちょっ、あの、どこへ」
「不良在庫魂、遊ばせとく余裕なんてうちには無いの。キミは今からアタシの弟子ね! 思いっきりこき使うから、覚悟しなさいよッ」
 ハタハタとローブの裾をなびかせ、背筋を伸ばして仁王立ちする死神さん。叩きつける風に負けないよう、僕は腹の底から声を出した。
「ハイッ!」
「ん、良い返事」
 ようやく死神さんが、僕を鎌から解放した。慌てて雲の端にしがみつく僕を見下ろし、冷酷な事実を告げる。感情のこもらない眼を、少しだけ切なげに細めて。
「あとね、どんなに頑張っても、次に人間界へ降りられるのは六十九年後。キミが想像できないくらい、長くて苦しい時間になるよ。しかも、キミの好きな子が生きてる保障もない。それでもいいの……?」
 死神さんの語尾に、ほんの少し戸惑いが滲む。僕は迷わず頷いた。
 もし間に合わなかったなら、彼女の墓前に花を手向けよう。
 できるなら、薄紫の可憐な花を。

 ◇

 ある晴れた日の、夕暮れ時だった。
「……じゃあね、センセ。また遊びにくるね!」
 木漏れ日が柔らかく落ちる、こぢんまりとした南向きの部屋。窓際に置かれた簡素なベッドの上に、彼女は座っていた。バタバタと部屋を出て行く、三人組の中年女性に手を振って。
 彼女の目は薄い膜を張ったように濁り、今や僅かな輪郭程度しか捉えることができない。それでも目の前にいる相手が誰かなんて、充分過ぎるほどに知っていた。
 念願の中学教諭になり、定年まで勤め上げた。手のかかった生徒ほど不思議と親しみも増すようで、こうして勤めを辞めてからも会いに来てくれる。結婚せず、身寄りがない彼女にとっては、本物の子どもや孫たちが大勢いる……そんな感覚だった。
 彼女の身体が不自由になり、特別な施設へ入ってからも来客は途絶えない。部屋の中は、常に花の香りに包まれていた。
 大輪の花より、素朴な小花が多い。彼女の好きな花を、生徒たちは皆知っていた。
「良い香り。きっと可愛らしいんでしょうね。後で花瓶に移してあげましょう」
 彼女は花束を枕元に置くと、手さぐりでカーテンを引いた。羽織ったカーディガンの襟元を引きよせ、シーツの上にコホンと咳を落とす。
「少し、疲れたみたい。横になろうかしら……」
 ――コンコン。
 独り言を聞かれてしまったと軽く自嘲し、彼女は「どうぞ」と告げた。
 ゆっくりと扉が開き……聴こえたのは、決して忘れられない、懐かしい声。
 穏やかで朴訥(ぼくとつ)で、そして誰よりも慈しみ深い、少年の声。
「まぁ……今日はなんて素敵な日なんでしょう」
 彼女は、見えない目を大きく見開き、感嘆の吐息を漏らす。その傍らに歩み寄った彼は、彼女の落ち窪んだ瞼に、そっと手のひらをかざした。少しだけ土の匂いがする手を。
 その行為が、一瞬だけ奇跡を呼び起こす。
 彼女の瞼の裏に、何度も夢に描いた少年の笑顔が映った。
 あの頃は背中しか見せてくれなかった彼が、彼女を真っ直ぐ見つめ微笑んでいる。
 そして、枕元に置かれた薄紫の小花を指差し、彼の唇が「ありがとう」と動いた。
「そう……ちゃんと、見ててくれたのね」
 彼女の祈りが届いたのか、枯れずに咲いた小さな花。秋には種となり、生徒たちの手から手へ。今では数え切れないほど大勢の人に愛されている。
 その最初の花を、くれた人だった。
 再び闇に包まれる視界の中、彼女は手さぐりで彼の姿を探した。幾筋も皺の刻まれたその手に、ひんやりと冷たい少年の手が重ねられる。
 そのまま二人は、何も言わずに過ごした。
 時間にして、僅か三分ほど。
 彼の手がすうっと溶けて消えた後、彼女は眠るように息を引き取った。
 淡い紫色の花束を、胸に抱いて。

 ◇

「――ねぇ、高遠くん。この花、いつ咲くの?」
 土いじりに熱中する僕に話しかけてくる、女の子らしい軽やかなソプラノの声。
 振り向かなくても分かる。クラス委員の椎名さんだ。
 僕は俯いたまま、地面に向かってボソッと答えた。
「梅雨が明ける頃には、咲くと思うよ」
「そう、楽しみだね――」

「……なにこれ、ひどい! せっかく、もう少しで咲きそうだったのにッ」
 いつも明るく気丈な彼女が、唇をわななかせる。とっさに手のひらで口元を覆うものの、大きな瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだ。
 僕はジャージの裾で手のひらの土を払い、立ち上がった。ゆっくりと振り返り、初めて正面から彼女を見つめた。そして、彼女を落ち着かせるような、なるべく穏やかな声色で告げた。
「大丈夫だよ」
「だって、こんなに踏まれて……」
 興奮のあまり真っ赤に染まった頬と、尖らせた唇が可愛らしく、クスッと笑みが漏れる。
 僕は心のどこかで確信していた。小さな薄紫の花を手にした彼女が、嬉しそうに笑う……そんな姿が見られることを。
「この花は強いんだ。これくらいで死んだりしないよ」
「そうなの……?」
「うん。絶対咲くから、待ってて」
 彼女が半信半疑といった面持ちで、僕を上目遣いにみやる。僕は力強く頷いてみせた。
 そのとき、太陽を隠していた小さな雲がスッと横に退き、一筋の光が差し込んだ。まるで僕たちに、スポットライトを当てるみたいに。
「――分かった、待ってるね!」
 煌めく光の中、彼女はポニーテールを風に揺らし、花開くように微笑んだ。(了)

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【後書き】補足&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたい方のみ反転を。
(携帯の方は「テキストコピー」でたぶん読めます)
『三分間のボーイミーツガール』というお題に沿って書いた作品です。本命用に初稿まで書いてた作品が、ちょっと(かなり)面白くなかったので、急きょ半日ほどで書いてみたのですが……はい、やっちまいました。orz なんつーか「お涙ちょうだい」的な人死に系の話って、小説の神様にハンデもらった感がありますな。でもここまで露骨なのって初めて書いたから、許してちょんまげ。あとは病気で死別するカプル話を書けば……いや、さすがにそれは書けないぉー。(←病気の下調べするだけで号泣するピュアっ娘)



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